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「 幸あれ 」 (末吉百合香師)

聖 書
出エジプト記20章12-17節
20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
20:13 殺してはならない。
20:14 姦淫してはならない。
20:15 盗んではならない。
20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

 先週私たちは、神様がこの十の戒めを私たちに与えられたのは、私たちを不自由にするためではないことを聞きました。「・・・しなさい」とか「・・・してはならない」と言うのを聞くと直ぐ自由が奪われると思って反発を感じてしまう私たちにとって、それは予想外の内容だったと思います。
神様が「わたしはあなたの神である。」「あなたは、わたしのほかに、他の神々があってはならない。」とそこまで私たちに要求されるのは、私たちに「幸あれ」と願われてのことでした。丁度、結婚の決心をする様に、全てを捧げる用意をして私たちの前に立ってくださるのです。十戒は、神様の愛の告白です。先週はその愛の告白に対して私たちそれぞれが答えました。「あなたは、わたしの神です」と。
さてみなさん、神様はなぜ私たちに愛を告白されるのでしょうか。それは、愛が、人を生かすからです。神様が望まれるのは、人が信仰深そうになることではなく、生きることです。どのような状況にあっても未来に向かって希望をもって生きることです。
未来に生きる
今朝、読んでもらいました十戒の後ろ半分はこのことを私たちに伝えています。そして、十の戒めの真ん中はおへそです。よく聖書を見てください。おへそのマークがついています。いえいえそれは嘘です(笑)。前の5つの戒めと後ろの5つの戒めの間が丁度真ん中、だからおへそなのです。それは12節にある第5の戒めの「あなたの父と母を敬え」の次の言葉です。
「あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」この言葉が十戒のおへそです。
みなさんのおへそは、今は何の役目もないものに見えます。しかし、みなさんが生まれるまで、お母さんのお腹にいる時、おへそはみなさんの中心でした。その時、生きるのに必要なもの全てがおへそから入って来ました。今日お風呂に入った時におへそを眺めて今日のメッセージを思い出して下さい。じっと眺めると最初は笑ってしまうかもしれませんが、昔の昔のことを、自分が生まれる時のことを頭に浮かべて眺めて見て下さい。
以前、沖縄を訪れた時、平和資料館を見学した後、アメリカ軍との激戦地跡に立ちました。その場所は、戦争を放棄しなければならないこと、平和を造り出さなければならないことを訪れる者に伝えています。それと同じくおへそは「命」とか「生きる」と言うことを私たちに伝えてくれます。十戒の第五戒は「命」また「生きる」ことを伝えています。今夜、そのことを思っておへそを訪れて見てください。
未来に進ませる約束
さて、十戒のおへそである「あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」の戒めは何を伝えているのでしょうか。
使徒パウロはエぺソ6章2節でこのおへそのことを書いています。「これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。」つまり、神様の命令には約束が伴っています。「あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」と言う約束は、今から何千年も前のものです。わたし達にとってそれはどんな約束なのでしょうか。約束は英語でプロミスと言います。プロとは「前に」、ミスとは「押し出す」と言う語源があります。つまり約束とは私たちを未来に押し出すものです。約束を伴う神様の掟である十戒は、私たちに「未来に向かって生きよ」と言っているのです。

 この十戒はシナイ山で神様からいただくのですが、もう一度聖書に出てきます。それはヨルダン川を渡る前でした。「この川を渡ったら神様が与えると約束された土地に入る」と言われたその時に、モーセはこの同じ十戒を全員に語りました。「約束された土地」とは何でしょうか。小学校に入学する子どもには学校生活です。新社会人成る人には職場でしょう。新婚さんには新家庭。定年を迎える人には第二の人生。また、誰でも一日を終えたとき、次の日を迎えなければなりません。「約束された土地」に困難も予想されます。しかし、神さまは私たちが未来に向かって進むために希望の約束として十戒を与えられました。

神さまを信頼せよ
さて、おへその前の「父と母を敬う。」これはお世話になったから御礼をするのではありません。これは恩返しです。ただ「父と母」とあります。どんな父でも、どんな母でもと言うことです。それから「あなたの」父と母とあります。すなわち、父と母とは自分の命と直接関わっている父母のことです。父も母も完璧ではありません。欠点や不足があります。しかし、世界でただこの父と母だけが、自分の命と直接関わっている者であると言うことに比べたら欠点や不足は小さなことだ、と神様は言われます。「あなたの父と母を敬え」とは、単なる一般的な命ではなくて、この父と母の子供としてこの命があると言う認識をしっかりと持つ事です。この、「人の命」と言う掛け替えの無さを尊ぶようにと十戒は強く勧めます。

ここひと月でしょうか、学校でのいじめが再びクローズアップされています。我が家の子供たちの時代から何も変わっていません。文部科学省が数年前から始めた自国愛を植え付けるという心の教育は、全く功をそうしていないことが明らかです。

何があっても、人が未来に向かってこの命を生きる事を軽んじられては成りません。なぜなら、神様がそれを重んじられるからです。ですから、差別や偏見を無くそうという働きは、社会派というようなものではなく、神さまを信じる者として出て来た働きです。神様は言われます。イザヤ43章3、4節「わたしが、あなたの神、主、・・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」あなたも、あなたの父と母も、神さまはこのようにご覧になっています。
 
ですから、十戒は次に「殺してはならない」と続いて行きます。次の姦淫とは、人を物の様に扱って軽んじることです。盗みと偽証は、神様が他者に与えたものを奪うことです。つまり、神さまのものを奪うことになります。物を奪うのが盗みです。相手の立場を奪うのが偽証です。これらの行為の背後には、自分は軽んじられていると言う思いがあります。それで重んじられている他人を見て、それを奪いたくなるのです。他人の幸せを見て、不幸になる事を願う思いが起こるのです。これは大変悲しい事です。
しかし、神様は誰をも決して軽んじられません。「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われます。だから、どんなに貧しくても盗んではならないのです。また、どんなに悪い立場に立たされても偽証してはならないのです。
 隣人のものを欲しがるとは、むさぼりとも言われます。この行為の背後には、神様から自分に与えられていることに対して、満足できないと言う思いがあります。あの人は2タラントン、あの人には3タラントン,しかし私には1タラントンしか下さらない、そう思って人生を希望なく後ろ向きに生きた人の話が新約聖書にあります。「神様、私にはこれだけしか下さらないのですか、こんなんじゃ、私の未来には希望がありません。」と私たちも神様に不信を持つことがあります。十戒は伝えています。心配するな、与えられているもので満足しなさい。他人と比較してはならない。神様はあなたにとって必要なものを、最善なものをお与えになっています。だから、殺さず、姦淫せず、盗まず、偽証せず、隣人のものを欲せず、神様に信頼を置きましょう。
 
モーセがこの十戒を、ヨルダン川を渡る前にどうしても語りたかったのは、神様に信頼を置いて、川の向こうへ、未来に向かって進むためでした。私たちもヨルダン川を渡りましょう。ヨルダン川とは何でしょうか。それは洗礼を象徴しています。それは罪に死にキリストと共に生きる事を象徴しています。モーセは十戒を伝えた後(申命記5章―8章)こう言いました。「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、彼を恐れなさい。あなたの神、主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。」 私たちの神さまは、みなさんを良い土地に導き入れようとしておられます。ヨルダン川とは私たちにとって死の川であるとも言われています。しかし、その川も主と共にあるなら平気です。その向こう岸は約束の地です。私たちに対する、未来の約束を主イエス・キリストが、十字架の苦しみと死からの復活を通して、示してくださいました。日常生活の中にこの主がいてくださいます。また、良い地とは私たちに与えられる復活の命です。この命には、もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもありません。全く新しい命です。
先週のキャンプで野外でのゲームをしました。そのゲームは5つの指令を行うというゲームです。あの暑さの中にも関わらず、子どもたちは大人を置き去りにして、その指令を一番に達成しようと大正池に向かって走り出しました。上り下りのきつい道を、全員指令を達成しました。子どもたちは達成感に満足していました。一方、大人たちは子どもたちを追いかけるだけで精一杯だったようです(笑)。景品も何もないのですが、「何々せよ!」という指令にはそんな力があるのですね。5つの指令を達成すると、「かみはあい」という5つの言葉になりました。
十戒は私たちに対する「幸あれ」という神様の指令の十の言葉です。


説教要旨
神さまは、私たちすべての者が「いのち」を尊ぶようにと十戒を与えられた。主イエスも言われる「人が全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と。いのち、それは人間の知性で大切なもの、尊ばれるべきものと理解していても、事実守られない。神が「あなたは高価で尊い。わたしがあなたを愛している」と宣言されるとき初めて「いのち」が尊ばれる。神が尊ばれるものを人間が軽んじていい訳がないからだ。十戒は私たち人間が「幸多き者」として生きるために与えられた十の神の言葉である。

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