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「 待ってなさい 」 (末吉貞雄師)

聖 書
出エジプト32章1~4節
32:1 民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもとに集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。」
32:2 それで、アロンは彼らに言った。「あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪をはずして、私のところに持って来なさい。」
32:3 そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。
32:4 彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。」と言った。

 みなさん、子どもの頃を思い出して下さい。「ちょっとここで、待ってなさい」と親に言われて待ったことがありますね。「まだかな、まだかな」と思いながら待ちましたね。必ず変えて来ると信じ切って待ちました。親の姿が見えるまでジーと見つめていましたね。そして見つけた時の込み上げてくる感動。あれは泣きたい位の感動ですよね。私は何回も見たことがあるんです。かなり長い時間待っていた子どもの所に親が戻ってきた時の様子を。抱きつく子、あーあー泣き出す子、そう言う大胆な表現をしない子も涙目になります。待つとは、信じる事ですね。

 「待ってなさい」とは「信じなさい」と言う事。神様はあなたの親の様なものです。今あなたの手を握って、あなたをじっと見つめて「待ってなさい」と言われます。難しいことを考える必要はありません。肩を張って構えることはいりません。「待ってなさい」この言葉を信じ切って素直に神様の子どもに成れば良いんです。人の前ではいつまでも子供であってはいけません、成熟した大人に成って下さい、しかし神様の前では、いつまで経っても子どもでいて下さい。礼拝に来て、神の前に立ったなら、子どもになるんです。「ここが痛い、あそこも痛い」と言いながら。いいじゃないですか。この世の中で思いっ切り子どもに成れる所は、ここしかありません。

 旧約聖書の出エジプト記32章、神様との契約の準備の為にモーセは「わたしが戻るまでここで待ってなさい」と言い残して山の上におられる神様の所へ上って行きました。ところがなかなか戻って来ません。139ページ出エジプト記24章18節モーセは四十日四十夜、山にいました。「モーセは何してんのんかなー。神様は何してんのんかなー」と思いますわなー、40日ですもん。

 ところで聖書で四十日四十夜は単なる40日間ではありません。それは人生の試練の時を表します。人生の中で色々な事が起こって、もう神様を待ってられへん。もう神様を信じられへん。そう思う時が必ず来るんです。32章では、とうとう自分たちの手で神を造りました。それは金で出来た子牛の像でした。

 十戒は神様の愛の表現としての戒めです。神様からのラブレターです。ところが金の子牛の像を作るとは、そのラブレターを破って捨ててしまう事と同じです。大変な事です。民はその大変さに気付いていませんでした。
 
 私たちも気付かないで神様に対して同じことをしてしまいます。神を神として礼拝していない時があります。神に感謝しない。神の代わりに他のものに目が奪われ、それを神の様に重要視してしまいます。そして、それに気付かないのです。

 さて、32章の後、どうなったのでしょうか。神の怒りに接して彼らは気付きましたが、もう取り返しがつきませんでした。しかし、その時にモーセが仲介者として、神と人との間に立って必死に憐れみを執成したのでした。神はそれに答えて憐れみによって契約を再実行され、彼らの神として先立って進まれました。825ページネヘミヤ9章18-19節「彼らが自分たちのために、一つの鋳物の子牛を造り、『これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えた時でさえ、あなたは、大きな憐れみを掛け、彼らを荒野に見捨てられませんでした。」詩篇106編19-23節(1014)では、御前の破れに立つ仲介者モーセの姿があります。仲介者をお立て下さる神様の憐れみ。破れをカバーする者の前で「私には破れがない」と言っている間は仲介者は働けません。「この破れ多き罪人を憐れんで下さい」と祈りましょう。

 皆さん、モーセはとうの昔に死にました。私たちと神様の間に立って仲介して下さる方はイエス・キリストです。407ページ1テモテ2章9節「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」キリストは私たちの破れを繕う為に来られました。弱い布を強い布で繕うと弱い布の破れはよりひどくなります。それで、キリストは弱い肉体をとって人間に成って来られ繕う端切れと成って下さったのです。

 神はイエス・キリストを死人の中から甦えらせて、神と人の間を取り持つ永遠の仲介者となさいました。神はイエス・キリストに、私達の罪を身代わりに背負わせ、罪の罰を引き受けさせ、その代わりに神との和解を私たちに用意されました。351ページ2コリント5章20節「私たちは、キリストにかわって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」

 神は単なる和解だけではなくて、キリストと契りを結ぶ者を神の子として取り扱って下さる、と言う新しい契約に与らせて下さいます。172ページヨハネ1章12節「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」のです。
 
 キリストは天に帰られ今は神の右に座しておられます。そのキリストが天に帰られる前に言われました。213ページヨハネ16章7-8節「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行く事は、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたの所に来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたの所に遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」

 助け主(聖霊)を送ってまず罪について気付かせて下さいます。洗礼を受けると、この助け主を受取り、ますます罪に気付かせて下さいます。そして、罪人を招いて救うキリストにますますお世話になって、不義なるものを義とする神の愛によって、ますます変えられて行きます。これをきよめられると言います。この助け主に導かれるクリスチャンを通して神様は罪について義についてさばきについて世に証されるのです。

 209ページヨハネ14章1-5節「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」これもイエス様が天に帰られる前に語られた言葉です。天に行って私たちを迎える為の場所の用意が出来たら戻って来ます。それまで待ってなさい。「待ってなさい」それは、心を騒がせないで神を信じ、イエス・キリストを信じる事です。「待ってなさい」これは「信じなさい」と言う事も含む親の様な優しい声です。

 「待ってなさい」今日あなたにも声が掛けられています。今、この言葉を信じ
切って素直に神様の子どもに成れば良いんです。

 説教要旨
親が子どもに「ここで、ちょっと待ってなさい」と言う様に、神は「待ってなさい
」と言われる。それは「信じなさい」と言うことである。人生の荒波、試練の中で「もはや神を待てない、神を信じられない」と言う思いが起こる。憐れみに富む神は仲介者を立て神との関係回復の道を開かれる。仲介者モーセは死んだがキリストは死人の中から甦って永遠の仲介者と成られた。このキリストに代わって願う「神の和解を受け入れなさい」洗礼を受けて神の子とされ、天に場所の用意が出来てキリストが帰って来るまで助け主に導かれて待ち続ける者となろう。「待ってなさい」はその招きである。

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