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「 人生の救命胴衣 」 (末吉貞雄師)

聖 書
レビ記20章26節
20:26 あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる。主であるわたしは聖であり、あなたがたをわたしのものにしようと、国々の民からえり分けたからである。』

礼拝って実家に帰る様なものです
神様はまず皆さんに言われます。「お帰りなさい。私達は神の家族です。」
礼拝に初めて来た人にも神様は言われます。「お帰りなさい。あなたは覚えていないでしょうが、あなたは神の家族なんですよ。お帰りなさい。」
「神様、私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」そう気付く人は幸いです。神様はさらにテンションを上げておっしゃいます。「お帰りなさい。待ってたよ」。

礼拝って魂の故郷、実家に帰る様なものです。「わたしは神の家族なんだ」この事を確認する場が礼拝ですね。

 皆さん、自分の子どもが帰って来たらどうしますか。我が家の子どもは年に一回か二回、長男は11月に帰って来るとの連絡を受けていますから二年ぶりになります。
 「帰ってきたら何を食べさせようか」外食が多いでしょうから野菜を食べさせたいな。夜仕事から帰って来ても疲れていますから、手間のかからないメニューになります。魚焼き機の付いたコンロがアパートには備え付けてありますが、後片付けが面倒なので魚は殆ど食べていません。次男は炊事道具を揃えてやりましたが、みそ汁を一回作っただけ、今は全てが外食と成っています。帰る前に「何食べたい」とリクエストを聞きます。そしたら、子どもの時の懐かしいメニューが返って来ます。「春巻き」
 大人になった子どもが帰って来たら、子育てモードに自然と切り替わります。親ですね。

 神様も似ています。「帰ってきたらしっかり栄養付けなくっちゃ」聖晩餐のパンと杯(私達の教会では月一回ですが、礼拝毎にする教会もあります)。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉による。と聖書にあります。説教の神の言葉。親は肉の糧、神は霊の糧で神の家族を育てられます。先週の予告通り、迎えられ受け容れられた神の家族を神様がどのように育て教育するのか、今からその話に入っていきます。

ファンデーション
 19章を読むつもりでした。詳しい教えは17章から記されています。ずーと読んで行くと「神様はなぜ、こんなことを命じられるのだろうか」と思う所が多々あります。それで考えたんです。上っ面じゃなくて、その命令の真意、心は何なのか。基本が大事ですね。

 お化粧に例えるとファンデーションです。お化粧には色々な仕上げがありますね。それをまず地肌になじませてお化粧を浮かない様にするのです。教会に来て神の家族になって育てられ教育されて、神の家族として教会の外へ出て行き生きて行くのですが、ともすれば、なんだかお化粧が地肌になじまず浮いたような、上っ面だけの、不自然な、取って付けたような、どうもスカッとしない生き方に成りかねません。問題はファンデーションです。下塗りです。その上に皆さんの人生を塗って行きます。上塗りですね。若い皆さんはこれから上塗りです。その前に今日きちっと下塗りして下さい。いや、もう既に上塗りしてしまっていますね。でも心配いりません。塗り直せます。女性の方はお化粧は毎日落として塗り直していますね。それといっしょ。先々週「素っぴん」の話ををしました。神様の前に出る時は化粧を落として「素」です。女性の方誤解しないで下さいね、教会に来るときはお化粧して下さい。心、魂は素で神の前に立ちましょう。全てを落として改めて礼拝でファンデーションを塗って頂き、生活の場で上塗りして行くんですね。

死から救命
「あなたはわたしのものである。」これが神様が私達の心、魂に下塗りして下さるファンデーションです。ここに救いがあります。神様は世の初めからこの事を、色々な人、色々な出来事を通して、人間に伝え続けて来られました。「あなたは、わたしのものである。」今は分らなくてもいいから、この神の言葉を今日塗って頂きましょう。その上に上塗りして行って下さい。お試しください。化粧品と違ってすぐには分からないでしょう。どちらかと言えば、京都の二条城の兵の白壁に似ています。200年300年台風や地震に会う中でその真価が分かります。あなたもきっと分かる時が来ます。
「あなたはわたしのものである」この言葉は飛行機の座席の下に置いてある救命胴衣と似ています。今すぐは必要無いけれども、離陸前、その使い方の説明と、それが置いてある位置の紹介が機内放送で流れます。確かめる人は少ないと思います。みんなあるものだと信じているからです。わたしは確かめたことがあります。ちゃんとありました。船にも必ず乗船者の数の救命胴衣が用意されています。舟ではそんな放送もありません。だれもそれを確かめないで、当然あると考えて船旅をしています。墜落や沈没は万に一つの究極の事態ですが、法律でちゃんと乗客一人ひとりの分の確保が義務付けられています。

しかし、ここで不思議なことがあります。人生の旅では人生の救命胴衣無しで旅を続けている人が多いんです。人生の究極の事態のことは考えなくて良いとする人が多いんです。そんな事を考えるのは神経質な人の考えることだ、なんて言う人もいるくらいです。これはホントにおかしなことだと思いませんか。

人生の究極的な事態、その最たるものは死を迎える時です。元医者の老人が訴えておられました。その時は何をしても無駄です。人間にはどうすることも出来ない時なのです。だのにそれを認めないで延命治療をする医療。それで良いのか。おかしい。では、どうするのか。その方は、自分の思い通りにいかない部分はさっさと諦め、そこから目を逸らして、自分の思い通りになる部分にだけ目を留め、そこを楽しむのが良い。そんな事を言っておられました。基本的に死で終わり終止符だ、もう救命胴衣はいらない、諦めました。出来るだけ楽しむだけです、と言う事です。これで良いのでしょうか。

人生には色々な体験があります。誕生から始まって・・・。それぞれの体験を通して人は気付きを与えられます。死は終止符ではありません。疑問符です。あなたは究極的にどこに属しているのか、究極的に何によって支えられているのか、死はそれを徹底的に問うて来ます。あなたは何も答えられません。完全にお手上げです。死は勝利宣言するでしょう「お前は私の支配下だ、私の奴隷だ。おまえはもうこれで終わりだ。」みなさん、それで良いのでしょうか。

聖書もこの現実を知っています。1コリント15章32節「もし、死者の復活がないのなら(すなわち、死で終わりなら)、「明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」ということになるのです。」

みなさん神様は、死を前に立ち往生しているあなたに、得意げに勝利宣言する死に聞こえるように、大声で宣言されます。「あなたは、わたしのものである。罪?それは全て私の長男イエスが引き受けた。肉体の死?それは終わりではない。私はイエスの肉体を死から甦らせて、死んだ者の初穂とした」と。342ページ第一コリント15章51節-57節。「あなたはわたしのものである」これが人生の救命胴衣です。これは人を死から救うだけではありません。生き方を変えます。聖なる者に変えられて行きます。

生き方を変える救命
旧約聖書のレビ記という書は祭司が書きました。祭司は神殿で仕事をする人たちです。しかし、その神殿が外国人に破壊され、祭司も外国に捕虜として連れて行かれるという体験をしました。原因は神様に従わず、神様を悲しませる事をし続けたからでした。「もう神様は罪を犯したこんな自分達のことなど顧みられることは無い、見捨てられるに違いない。」そう思いました。しかし、そんな中で神様の言葉が心に迫って来たのでした。
預言者イザヤが遣わされて告げました。1193ページ42章24節-43章1節。「あなたはわたしのもの」。
彼らはこの神の言葉を今度は本気で聞きました。人生の救命胴衣は人生をやり直させるチャレンジを彼らに与え、彼らはこのレビ記を記しました。「あなたはがたを、わたしのものにしようと、国々の民からえり分けた。20章26節」救いの確信をもって今日の言葉を記しました。この神の愛によって再出発が可能となる、聖なる者に変えられて行く、そんな希望を持って今日の言葉を記しました。
 みなさん、私達の場合イエス・キリストが救命胴衣です。199ページヨハネ10章27-29節「あなたはわたしのもの、誰も奪い去る事は出来ません。」これを下地にしてファンデーションにして、この上に貴方の人生を上塗りして下さい。いってらっしゃい。そして、また帰っておいで。

説教要旨
礼拝は神の家族の実家に帰る様なもの。神はみことばと言う霊の糧で養い育まれる。「あなたはわたしのものである。」これは神様が私達の心、魂に下塗りして下さるファンデーションの様なもの。この上に塗って行くのが私達の人生。またこれは人生の究極の事態(死)に不可欠の救命胴衣の様なもの。あなたを虜にする死の面前で力強く宣言される「誰が何と言おうと、あなたはわたしのもの、誰も奪い去れない」この愛の宣言は人生を何度でもやり直す勇気を与える。

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