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「オリーブ山の祈り」 (末吉百合香師)

聖 書
ルカの福音書22章35節-62節
22:35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
22:36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。
22:37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」
22:38 彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、「それで十分。」と言われた。
22:39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。
22:41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。
22:42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
22:43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
22:45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
22:46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
22:47 イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。
22:48 だが、イエスは彼に、「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか。」と言われた。
22:49 イエスの回りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ。剣で打ちましょうか。」と言った。
22:50 そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。
22:51 するとイエスは、「やめなさい。それまで。」と言われた。そして、耳にさわって彼を直してやられた。
22:52 そして押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。
22:53 あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」
22:54 彼らはイエスを捕え、引いて行って、大祭司の家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行った。
22:55 彼らは中庭の真中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした。
22:56 すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。「この人も、イエスといっしょにいました。」
22:57 ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません。」と言った。
22:58 しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ。」と言った。しかし、ペテロは、「いや、違います。」と言った。
22:59 それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。
22:60 しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。
22:62 彼は、外に出て、激しく泣いた。

 今朝の箇所にはルカが伝えようとする、幾つかのキーワードがあります。オリーブ山での祈りをカギとなる言葉で囲っています。
闇の時
 まず、最後の晩餐の後、闇が力をふるいます。
36節を注目、「しかし、今は、財布のあるものは財布を持ち、剣のない者は着物を売って買いなさい」と言われます。以前、イエスさまが弟子たちを伝道に派遣された時、財布も旅行袋もくつも持たせませんでした。しかし、今は、それを持ち、その上、剣までも持てと言われます。
次に53節を注目、「しかし、今はあなたがたの時です。闇の力です」とあります。
オリーブ山での祈りは、闇の時の中にあります。財布と剣は弟子たちに、「これから直面する危機に備えよ」という事なのです。「お前たちは、今闇の支配の中にいるのだよ。しっかり心しなさい」とおっしゃったのです。
えっ?イエスさまが剣を持てなんて、どうしたのと思いますね。でも、「剣のない者は着物を売って買いなさい」と言われたのに、38節を見ると、剣が二本だけあるのを見て、「それで十分」と答えられます。弟子は11人いるのに、二本で十分だと言われます。
イエスさまが捕まえられるとき、大祭司のしもべの耳を弟子が切り落とします。51節、するとイエスさまは「やめなさい。それまで」と言われます。「それで十分」と言われます。
これは財布と剣を頼りにせよというのではなくて、これから起ころうとしている闇の力に対する、心構えなのです。
主の孤独
弟子たちはまだ分かりませんでした。自分たちに、財布と剣を持たされた理由が。主はこれまで何度も自分が十字架で苦しむことを弟子たちに話されました。でも、弟子たちにはイエスさまの苦しみを理解できなかったのです。主は全く孤独の中にありました。

いつものように
 さて、最後の晩餐の後、39節いつものようにオリーブ山に行かれ、いつもの場所に着かれます40節。ユダにサタンが入ったことをご存じのイエスさまですが、いつもと同じように行動されます。「いつものように」というこの言葉は他の福音書にはありません。ルカだけです。ここは、本当にドキドキしますね。
いつものように、いつもの場所で。今までと何一つ変わりません。
しかし、その時、闇の力が人の子イエスと弟子たちを支配しました。
人間と同じに
主は、弟子たちに「誘惑に負けないように祈れ」と求められます。「闇の力に勝つのは祈りだ」と。
いよいよ、人の子イエスと闇の力との対決が始まろうとしています。
弟子たちから離れ、ひとり父なる神に向かわれます。「父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」と。先程、闇の力に負けないようにと言われた主が、「この試練を取り除いてください」と祈られます。どうしたのでしょうか。弟子たちの自慢の、人々が夢中になる主はどこに行ったのでしょうか?十字架の試練の前に弱さを表明される主の姿がありました。
しかし、使徒パウロはこう言います。ピリピ2章6-7節「キリストは神の御姿である方なのに、神の在り方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿を取り、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ」ましたと。
ご自分の弱さを見せて下さった人の子イエスさま。「私はあなたと全く同じになったのだよ」「わたしは弱いあなたと同じになったのだよ」と言われる主がそこにおられます。上におられた方が下にいる私たちの真横に、いえ、ただ中に降りてこられたのです。

 皆さん、福音書の同じ記事の中で、ルカ福音書だけが伝える箇所は43節です。「すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた」。人の子イエスが弱っている時、神さまは御使いを天から遣わされたのです。御使いはイエスを力づけます。私たちが弱る時も、天使がそこにいて力づけているのです。
罪を負われる故の苦しみ
 しかし、44節「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」。天使が力づけているにも関わらず、主の苦しみは増していきます。この時の主は、人の子イエスではなく、神の子イエスさまです。
何故、神の子がこれほどまでに苦しまれたのでしょうか。
へブル9章27-28節をお聞きください。「そして、人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました」とあります。
神の子イエスさまは、私たちの罪を負って下さった故に苦しまれたのです。そのあまりの重さ故に、苦しまれたのです。
天使が力付けても汗が血のしずくのように流れるほど苦しまれたのです。その主の姿の向こうに、父なる神さまの苦しみの涙も見えてきます。
誘惑に勝利する祈りの力
 しかし、祈りの力は主を立ち上がらせます。
しかし、弟子たちは悲しみの果てに、眠り込んでいます。対照的ですね。でも、祈りは将来、弟子たちをも試練から立ち上がらせます。そのために、主は常にとりなしておられるからです。私たちの信仰の為にもとりなしておられます。
32節、「わたしは、あなたの信仰が無くならないように、あなたのために祈りました。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」
62節で、「彼は、外に出て、激しく泣いた」と、主を三度知らないと否んだペテロは、この時、32節の主の言葉を思い出しました。
私たちが真っ向から主に祈る時、主は「わたしは、あなたの信仰が無くならないように、あなたのために祈った。」「あなたの天使はあなたを力づける」と宣言してくださいます。

42節、「わたしの願いではなく、みこころのとおりに」と主は祈られました。全く人となられ弱さの中にありながら、闇の力の中にありながら、神さまに全く信頼されました。
オリーブ山で祈られた主を深く知った弟子たちは後に、試練に立ち向かう最も強力な武器は、剣ではなく、神さまへの信頼の祈りであることを知るようになります。そして、私たちも今朝それを知らされています。

説教要旨
 ルカ福音書は主イエスが事ごとに祈られる姿を伝える。オリーブ山の祈りは他の福音書ではゲッセマネの祈りともある、裁判直前の祈りである。42節「父よ、みこころならば、この杯をわたしから取りのけて・・」44節「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」。この祈りは、主イエスがまことに私たちと同じ人(肉体)となられたこと、さらに、過去現在未来の全人類の罪を背負う故の苦しみと、父のご計画に必死に従おうとされる姿(神への全き従順)である。信仰の最大の支えと防備、それが祈り。

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