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「配慮のある限界」 (末吉貞雄牧師)

聖 書
創世記6章1-4節
6:1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
6:2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。
6:3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。
6:4 神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

神様はこの地を創造される時に、分けると言う行為で創造されました。1章参照。光と闇を分けて昼と夜にし、上の水と下の水を分けて空と海にし、海と渇いた所を分けて陸とされました。ヨブ記38章10-11節「わたしはこれを区切って境を定め、かんぬきと戸を設けて言った。『ここまでは来ても良い。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここでとどまれ』と」。神様は「あなたはここまでですよ」と、それぞれに限界をもうけて、私たちの世界の秩序を保たれ調和を生み出しておられます。これは神様の配慮のある限界ですね。しかし、現実にはそれを越境する事が起こっています。今日の聖書は皆さんにその現実を指摘しますが、そこから何とか救おうと働かれる神様からの希望をも伝えています。

 神が定めた限界を越境する事件で最たるものは天と地の間にある限界を越えることです。6章1-4節は神の子らが天から地に来て人の娘にネフィリムを生ませた事件です。もう一つは11章1-9節のバベルの塔の物語です。バベルの場合は逆で、地の人が天にまで届く塔を建てます。問題なのは物理的に限界を越える事ではなくて、限界によって秩序と調和を保つようにして下さっている神様の配慮を無視する踏みにじる反抗的な行為です。

 2節で彼らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻としました。ファラオがエジプト王という優位さを利用してアブラハムの妻サラを自分の妻として宮廷に召し入れた事件(創世記12章10‐20節)、ダビデが王としての優位さを利用して部下ウリヤの妻バテシバと関係を持ち、手に入れる為にウリヤを殺した事件(サムエル記下11‐12章)を思い出します。神は人と人の間にも超えてはならない秩序・限界を与えられました。その大部分は戒めと言う形で与えられています。十戒は有名ですね。しかし強い者が弱い者に対して限界を越境し、その秩序を侵害します。神の子らの子孫ネフィリムは天的な存在(超人)、勇士、名のある者としてこの様な侵害を起こしました。

人間が天上のものと交わって、天的な人間、超人的な存在になって神の立てられた限界を越境する最近の具体例としては天皇制があります。現代は憲法で天皇は国民の象徴であると規定されていますが、国民ではなく、戸籍も無く、納税も無く、憲法の保護下にありません。その意味で天皇制には超人的な面が残っています。神の定められた秩序限界を越えては成らない事を、教会は告げる預言者的な責任があります。

 天皇制だけではなくて、現代は色々な分野で神の定められた秩序限界を越える危険を冒しています。特に医学の進歩は命の取り扱いに於いて人間が何処まで介入して良いのかを倫理委員会で検討していますが、大変難しい問題です。命の誕生の場合も限界を超える危険があります。障害を負う人の人権が侵される事件が最近起こりましたが、その背景である現代社会の責任も問われる事件でした。出産前の検査は障害を持った命を早く発見して堕胎する、すなわちその様な命は不要であるから世に出て来ないようにする、そう言う恐ろしい行為に成りかねません。

 もっと私達の身近な所では、食品添加物や人工的なものに自然ではあり得ないもの(放射能、CO2、原子力の使用済み燃料など)が作られています。神は人を土で造られ土に返る肉体とされました。この地上の自然循環サイクルから越境してはならないのです。

 3節、神の定めた限界を越境する状況になった時に、神は人間の寿命を120歳に制限する新たな壁(限界)を立てられました。かつても神は人が禁断の実を食べた時、もう一つの木「命の木」を食べて人が永久に苦労するのを避ける為に、ケルビムと炎の剣を置いて限界づけられました。今回の限界づけの理由「人が肉にすぎない」とは、天的な存在、神に成ってはならない、永久というのは人には相応しくない、人は被造物である事を忘れてはならない、そう言うメッセージが込められています。

 限界は神の配慮なのです。しかし悲しいかな、人は人生においてこのような神の配慮に気付かず限界を与えられた事を悲観します。加齢による膝間接の痛みはクッション性能の寿命、潤滑機能の寿命ですね。神の与えられた限界ですね。私たちのイエス・キリストはこの「肉に過ぎない」私たちに寄り添う為に同じに成って下さいました。その結果キリストは十字架の死と言う限界に立たれました。私たちの為に立たれました。キリストの復活は、その限界を与えられたのが神である事を、私達の責任者である神である事を、私たちの創造者である神であることを、このお方こそ絶大な信頼に足るお方である事を、現わしています。我々もやがて限界に立たされます。しかし、落胆で終わらず、十字架で死に甦られたキリストに現された希望を持って生き抜きましょう。

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