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「違いの中の一致」 (末吉貞雄牧師)

聖 書
創世記4章10-24節 
4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
4:12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
4:13 カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
4:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
4:15 主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。
4:16 それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
4:17 さて、カインは、その妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。
4:18 エノクにはイラデが生まれた。イラデにはメフヤエルが生まれ、メフヤエルにはメトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクが生まれた。
4:19 レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。
4:20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。
4:21 その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。
4:22 ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。
4:23 さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。
4:24 カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」
 
 アダムとエバの物語は、私達人間が神様との親密な関係(コミュニケーション)を持つ者として造られているのに、その関係を失った現実に成っている事を伝えています。しかし、それだけで終わりませんでした。彼らの子どもカインとアベルの物語は、私達人間は「違いの中でも一致」を見出して共に生きることも失っている現実を伝えています。カインとアベルが兄弟なのに全く違う二人の人間として描かれているのはそのためです。今開かれているリオオリンピック開会式のテーマも「違いを認め合いながら共に生きる」でした。今世界中の人が求めている事はこれだ、と言うことです。カインとアベルには三つの違いがあります。

 ①強い者と弱い者。大人と子供。青年と老人。健常者と障碍者。大きい国小さい国、先進国後進国、富める国貧しい国。②農耕と牧畜、これは生活文化の違いを生みますね。農耕民族牧畜民族とも呼ばれるぐらいに習慣や考え方まで違って来ます。③収穫物を神にお供えする原始的な宗教儀式の内容も違ってきますね。主が目を留めるか留めないかと言う形でその違いが露わになります。③の宗教的な違いが発端に成って事件が起こりました。アベルは違いを認めてカインと共に生きる道を歩み、カインはこの違いを認める事が出来ず対立の道を歩みました。
 皆さん、気付きませんか。以上の事は現在も起こっていますね。力の違い、文化の違い、民族の違い、宗教の違いの中で互いに認め合い一致出来ないで対立が絶えません。今日読んでいただいた10-12節の「大地に人の血を流す、その流された血が叫ぶ」と言う表現は戦争を思い起こします。13-14節でカインは殺人の罪の重さに気付き「私に出会う者は誰でも私を殺す」と恐怖に襲われます。復讐に対する恐怖ですね。一度血が流されると復讐の連鎖が始まります。

 先の戦争でアメリカがマンハッタン計画を立てました。それは日本との戦争を終わらせる為と言われる事もありますが、本当はロシアや中国などが各爆弾を造り出しているので『それを先に造られたら大変な事になる』と言う恐怖の結果、アメリカは世界初の原爆投下を広島に実現させたのでした。その後、この恐怖はより威力のある核兵器を保有し合う、冷戦という戦争を生み出しました。先日広島を訪問されたオバマ大統領はこの事を恐怖の論理と言いました。この恐怖の論理から逃れて核廃絶に向かう為に努力することを誓われました。しかし、核保有国はそれぞれの保有量の駆け引きがありなかなか削減できません。反対に非保有国が保有しようとしています。例えば北朝鮮。また、日本の様に核保有国の保護下にある国も核の傘が無くなったら国の防衛はどうなるのかと恐怖に襲われ核削減を主張できません。核廃絶の先頭に立たねばならない世界唯一の被爆国がこの恐怖の為に核の傘から出られないという大きな矛盾があります。違いの中での一致が出来ない人間を見て神様は嘆いておられる事でしょう。
しかし皆さん15節で神様はカインに特別な配慮し残る人生を生き抜けるようにして下さいました。家族が与えられ、町を建て、その子孫は5代目に及び、その子どもたちは多様な職業(遊牧、音楽家、鍛冶屋)の先祖となりました。現代も同じ神の配慮の中で生かされています。
 23-24節はレメクの歌と言われ、子どもたちを連れて妻たちがレメクの下に集まる、家族団欒の時に歌った歌なのでしょう。レメクという名は支配者王を意味します。支配者がこの様な考えを持つと言う、非常に危険な恐ろしい歌です。それで後に神様はエジプトから解放した神の民にシナイ山で十戒を与えられ、細かく命じられました。日本で復讐の時に使われる「目には目、歯には歯」もその中一部です。神は復讐を勧めているのではなく、どうしても復讐を抑えられない人間の為に、片目をつぶされたのなら片目までで、両目をつぶしてはならない。一本の歯が折れたのなら一本までで二本折ってはならないと、制限なさったのでした。

 しかしレメクの歌は復讐が無制限になっています。カインはアベルを殺して以来今度は自分の命が狙われるという恐怖に襲われました。レメクもその恐怖を受け継ぎ無制限の復讐を行なう歌を公表しました。皆さん、抑止力は力の均衡を保つが平和を生み出すことは出来ません。防衛のための抑止力と言われるが、抑止力はレメクの歌を歌うのと同じです。相手に恐怖を与えるのです。すると相手もその恐怖のゆえに攻撃をしない。このバランスで戦争は免れていますが、相手の攻撃という可能性がある限り軍備縮小は実現しません。相手を信じられない恐怖があるからです。神様、この恐怖から逃れる方法は無いのでしょうか?

 この事は国と国の問題だけではなくて、もともとは家庭の問題だったとカインとアベルの物語は伝えています。人と人の間でも力関係がありますね。髭をはやすだけで見下げられる事の抑止力になります。話す言葉の口調や内容でも抑止力になります。自分の立場を相手より有利にする為に人は色々な抑止的な行動に出ます。しかし、それでは平和は生まれません。力によるバランスはもろいものです。

 キリストは天に帰る前に地上にあるものを残すと言われました。「わたしは、あなたがたに平安(平和)を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安(平和)を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのと違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」。ヨハネ14章27節。
 キリストが地上に残された足跡、キリストの生涯とは一言で『自分を低くする』ことでした。その結果は十字架の死でした。十字架の死は平和の反対ですね。しかし神様は十字架のキリストを死から復活させてそれを覆され、その足跡を辿る先に平和がある事を明らかにされました。お互いの違いを認めて共に生きる一致が今世界中で求められています。その実現はまず自分を低くする事から始まります。
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