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「我が神、どうして」 (末吉貞雄牧師)

聖 書
創世記4章1-9
4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。
4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。
4:4 また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
4:5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
4:6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
4:7 あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
4:9 主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

 神の子であるキリストが十字架で「我が神、我が神、どうして、わたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれましたのは、私たち人間に寄り添い切られたからですね。つまり私たちの人生は「神様、どうして・・・」と叫ぶ人生だと言うことです。創世記は人間の先祖は何か、どのように進化したのか、を伝えているのではなくて「皆さんの人生ってこれでしょ。だから信仰が必要でしょ。救いが必要でしょ」と言う事を伝えています。皆さん、8月9月と創世記から話しますが、そこに注目して下さい。

 さて、神様はアダムとエバに子どもを与えられました。夫婦は長男にカインと名付け、次男にアベルと名付けました。カインが物心ついたころ質問たでしょうね。皆さんもしたことありませんか。あるいは皆さんが子どもから質問されたことありませんか。「パパ、ママ、どうして僕の名前を『カイン』にしたの?」。カインとは強いと言う意味があります。パパとママは顔を見合わせてから言いました。「カインが弱い人を助ける強い人に育って欲しいからだよ。」「じゃー、僕の弟の名をどうして『アベル』にしたの?アベルって弱い、と言う意味だよ」。パパとママは顔を見合わせてから言いました。「カイン、アベルが生まれた時パパもママも『神様どうして・・・』と思いました。でも神様を信じたんです。そして気付いたのよ。神様は『強い人ばかりではなくて、弱い人の気持ちが良く分かる弱い人も必要だ』と考えておられるんだ。それで弱い人の気持ちが良く分かる弱い人アベル、という名前にしたのよ。」 

 みなさん、私達も「神様、どうして・・・」と思う時がありますね。でもガッカリし続けてはいけません。神様を信じて下さい。そこには神様の御計画があるのです。カインは力がありましたから、大きな木を切り倒し、土の中にある重い石を運んで、軟らかい土の畑にして、そこに種を蒔いて野菜を作りました。アベルもカインお兄さんの様に野菜を作りたかったのですが、力がありませんからできません。『この子はどうなるのだろう』。パパもママもカインもガッカリしているアベルのことが心配でした。「神様、どうして僕にカイン兄さんの様な力を下さらないのですか。」とアベルは思いましたが、この事で神様を嫌いになるのではなくて神様を信じる事にしました。「自分にもできる事が何かあるはずだ、それが何なのか、きっと神様が分かるようにして下さる日が来る。だからガッカリするのはもう辞めよう」。皆さん、これが神様を信じることですね。

 ある日、アベルは散歩中に可愛い羊の子どもを連れた人と会いました。「おじさんは何をしているのですか」。「私は羊飼いだよ。羊飼いは羊を連れて散歩するんだよ。羊は弱い動物だから、ゆっくり歩くんだよ。暑い日は無理しないで日陰で休憩、雨の日は濡れて風邪を引くといけないから御家で遊びます。毎晩寝る前一匹一匹の羊のおでことゴッツンコします。その時、熱が無いか、顔色が悪くないか、調べるんだよ。寒い夜はからだを一緒にくっ付けて寝るんだよ。羊飼いは楽しいよ。おいしい葉っぱとおいしい水のある所さえ知っているなら誰だって出来るよ。」「ありがとう、おじさん。」「じゃーな、神様の導きがあなたにありますように!」

 アベルは急いで家に帰りみんなに伝えました「パパ、ママ、カイン、僕、羊さんを飼う仕事をする。羊は弱い動物だから僕にピッタリなんだよ」。その日、家族皆で喜びました。アベルが育てた子どもの羊が大人になり、その羊から子どもが産まれました。アベルはその生まれた子羊を神様の所へ連れて行きました。カインも取れたての野菜を神様の所へ持て行きました。

 さて、その日はパパもママも神様もアベルが育てた羊の事で頭が一杯でした。その時、カインの心の中に異変が起こりました。「神様どうして、アベルの羊ばっかり見て、僕が作った野菜を見てくれないの。この違いはどういうことですか。おかしいです。神様なんか大嫌い。皆から心配してもらっているアベルを見ていたらムカムカして来ます。僕の事なんかどうでも良いんだ。神様の事なんかもう信じない。」神様から離れて行ったカインは、パパやママやアベルからも、どんどんどんどん離れて行きました。幸せに見える家族でした。しかし異変が起きていたのです。よくニュース番組で事件が起こった現地からのリポーターが中継に出て来ますね。そして、インタビューを受けた近所の方が必ず言われますね「あの人がこんなことをするなんて信じられません」。皆さん、カインがアベルを殺した事件も同じだったと思います。

 4-5節「主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。」神様はここでカインに意地悪をしているのではありません。カインのそれまではどうでしたか。健康が与えられ、強い力を与えられ、父母に育てられ、弟も与えられ、家族という関係も与えられ、農耕という職業も与えられ成功しました。神様はカインにも目を留めて来られました。「我が恵み汝に足れり(Ⅱコリント12章9節)」と、神はカインに伝えたいのですが。カインはもう一つの声しか聞こえません。それはエバが禁断の実の前でへビから聞いた声と同じでした。「あなたは決して死にません。あなたがたがそれを食べる時、あなたがたの目は開け、あなたがたは神の様になり、善悪を知る様になることを神は知っているのです。」『神はおかしい、間違っている、信用できない』そういう声でした。

 カインの場合は蛇ではなくて7節「罪は門口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている」と表現されています。『神の支配する家から出て来なさい。私は門の外で待っているから。私と一緒に行きましょう』。カインはその声に従って門から出て行きました。その結果が8節、殺人です。しかし、9節は殺人で終わらなかったことを告げています。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と神様に問われたカインは答えました「知りません。私は弟の番人なのでしょうか」。カインは神様を非難する人になりました。

「神様どうして」と言う時に皆さんアベルの事を思い出して下さい。「神様どうして、僕にカイン兄さんの様な力を下さらないのですか。」「しかし自分にもできる事が何かあるはずだ、それが何なのか、きっと神様が分かるようにして下さる日が来る。神様を信じて、もうガッカリするのは辞めよう」。そしてイエス・キリストの事を思い出して下さい。イエス様は十字架で苦しみを受け「我が神、我が神、どうしてわたしを見捨てられたのですか」と叫ばれましたが、きっと神様が・・・と信じる道を最後まで生き抜かれました。皆さんこの道を進みましょう。神様はそのイエス・キリストを死人の中から甦らせて、この道が確かな希望のあるゴールにつながっていると太鼓判を押されました。だから『神様どうして・・・』の後に『きっと神様が・・・』と続けましょう。
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