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「人となられた神の子」 末吉貞雄師

聖 書
1ヨハネ4章10節
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 今日は神の御子イエス・キリストが生まれた事を祝うクリスマスです。
皆さん、クリスマスはプレゼントをもらったり、おいしいものを食べたりするから嬉しい時ですが、キリストが生まれた事はもっと嬉しい事です。聖書をもう一度読みます。「①神が 私たちを愛し、③私たちの罪のために、宥めの供え物としての ②御子を 遣わされました。」
 ①、神様が私たちを愛しておられます。その前に「私たちが神を愛したのではなく」とありますね。「私が神様の事を愛していないのに、反対に神様を悲しませたりしているのに、神様がわたしを愛して下さるはずがない。」と思う人が多いのです。たとえ、あなたが神様を愛していなくても、神様はあなたを愛されます。神様はこの愛を伝えたいのです。

 どの様な方法でこの私の愛を伝えたらよいのか、神様は考えて考えて考え抜いて「よし、これで行こう」と決められました。②神の御子イエス・キリストを遣わすことで愛を示されました。ここで一つ疑問が起こります。「神様、イエスキリストは遣わされたんじゃなくて生まれたんじゃなかったですか」。神様は言い間違ったのではありません。「遣わされる」とは「送り出す」ことです。皆さんの誕生日よりずっと前、お母さんのお腹の中に生まれた時の事を思い出してみて下さい・・・と言っても思い出せる人は世界中で一人もいませんね。神様はその時の事を秘密にされます。「あなたはこのお母さんのお腹だよ、さあ、行ってらっしゃい。愛する子よ、大丈夫だよ、いつまでも私が見守っているからね」と言って神様が送り出されます。この様にして皆さんが命を与えられてお母さんのお腹の中に送り出された事が、もう神様に愛されていると言う事なんです。

 皆さん冬休みに「お使いに行って来てくれる」と頼まれた事がありますか?それを聞くなり「うん、分かったお使いに行って来ます」と言って急いで出て行く人はいませんね。「何をしたらいいの?買い物?お届け物?郵便ポストに入れる事?」。お使いには必ず目的がありますね。それと同じで神様が皆さんをお母さんのお腹の中へ送り出された事には必ず目的があります。子どもたち、それを知っていますか?まだ分からないでしょ。だから教育を受けて下さい。教育エデュケーションの元々の意味は、その人の持っているものを引き出すことです。それによって神様がその人を送り出された目的を知るヒントになります。教育は権力者に任せてはいけません。自分たちにとって役に立つ人間を増やすために教育が利用されるからです。テロリストを生むための教育が行われています。日本では国がする教科書検定にも目を向ける必要がります。年をとっても教育が必要です。最後まで生き終えて初めて神様の目的の全容が明らかになるからです。自分から生きるのを止めにしたりしないで下さいね。苦しい辛い時、うまく行かない時、希望が見えない時など、色々な時がありますが、神様から送り出された目的があるのですから、最後まで生き抜いて下さい。皆さん一人ひとりを愛しておられる神様が見守って下さっています。

 では、キリストが生まれた目的はなんでしょうか。第一に、③キリストは私たちの罪のために生まれました。私たちの罪には犯罪や違反という目に見えるもから、いじめ、恨み、嫉妬等の目に見えないものまであります。神様がしてはいけないと言われるのに、心の中から「いるかいないか分からない神様なんかどうでもいいじゃないか、他の人もしているし、誰も見ていないし」という声が聞こえて来ます。自分では良い事をしようと思うのですが、その声に負けて自分がしたくない悪い事をしてしまいます。この様な状態が罪です。私たちはどんなに修行をしても、訓練をしても、まじめになっても、この罪を自分で取り除けません。罪に支配されています。

 神様が愛して下さっていると聞いても、私たちはこの罪の状態の中にいるため、神様との間に深い深い谷の様な隔たりが出来ています。しかし一つだけ方法があります。誰かが身代わりにこの罪を背負うのです。昔神様は、近づいて礼拝する事を許された時に「毎回宥めの供え物、罪の身代わりとして、とりあえず家畜の命を犠牲にせよ」と命じられました。神様がキリストを遣わされた目的は、とりえずではなくて、正式な宥めの供え物、身代わりの犠牲とすることでした。

昔、取りあえずの身代わりとして動物でも良かったですが、正式な人間の身代わりは、人間でなければなりません。それも罪に支配される人間と同じにならなければなりません。なぜキリストは、飼葉桶に寝かされ十字架で死ぬまで理不尽な人生を歩まれたのでしょうか。本当に人間に成って、あなたの身代わりになるためです。あなたの全ての罪を背負って身代わりに罰を受けて犠牲になって、あなたと神様との間の深い深い谷に架ける橋になる為です。ここに愛があります。クリスマスはその開通を祝い感謝してキリストと言う橋を渡って、神と交わる新しい歩みを始める日です。今の生活の場に神が遣わされた目的は何でしょうか。それぞれの年齢に必要な教育を受けましょう。

 今週皆さんは新年を迎える準備をなさいますね。教会で聖書の話しを聞く機会を作って下さい。このブログに掲載される説教を読んで下さい。そして、神の言葉、聖書の教育を受けましょう。神の目的の為に非常に有益です。最後に2テモテ3:16-17節新約416を読みます。

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
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