INDEX    RSS    ADMIN

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「マリアの賛歌」 末吉貞雄師

聖 書
ルカ1章46-55節
1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、
1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
1:48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、
1:50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。
1:55 私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」
 
子宝に恵まれないと言うのは、今と違って2000年前のユダヤの社会では不幸の中の不幸、と表現しても良い位でした。その様な暗い状態で人生を終えようとしていたザカリヤとエリサベツという夫婦が、神様によって奇跡を体験しました。子を授かったのです。それは単なる子宝ではなくてイエス・キリストによる神の救いの計画の始まりでした。この神様の計画は今日集りの皆さんにも関係します。あなたの人生の闇に光を照らす計画です。私たちは先週このザカリヤとエリサベツから伝言を受けました。それは「闇の人生に夜明けが来た。」ということです。

 約2000年前にイエス・キリストがお生まれに成って、確かに夜が明けましたが、完全に明けて私たちの回りから闇が全く無くなったのではありません。実際まだ闇に包まれています。私たちは闇の中を進み、闇の中に消えて行くように見えています。しかし、皆さん、希望を持ちましょう。イエス・キリストが天から来られ、光の世界、新しい天と新しい地がもたらされ、完全に夜が明ける、その時が必ず来ます。

 マラソンランナーはゴールがあるから何時間でしょうが走ります。米農家は6月に田植えし10月の稲刈りの日まで約5カ月間農作業に励みます。収穫があるからです。林業では20年50年100年という長い時間を掛けて、何代も続いて働きます。必ず大木に成長するからです。神様の救いの計画はもっと長い時間が掛かっています。もう2000年以上教会はクリスチャンは働いて来ました。私たちのゴールは何によって保障されていますか。それは神の約束、聖書の言葉ですね。ヨハネ黙示録21章3-4節500ページ「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみも、叫びも、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」この約束の言葉に「神が人間とともに住む」とあります。皆さん、私たちのゴールは神様との同居生活です。

 そのゴールを目指す歩むとは、神様との同居生活の為の準備をすることですね。神様はどんなお方なのか知る必要があります。そこで今日の聖書に注目しましょう。ここはマリアの賛歌と言われている聖書箇所です。その中でマリアは自分がなぜ自分が主をあがめ、喜びたたえるのか、その理由の第一を48節「主はこの卑しいはしために目を留めて下さった」としています。ここに彼女の素姓が明らかにされています。一般に神様に対して自分のへりくだりを表現するのに、主の僕とか主の端た女とか言います。本当に謙った人でない場合でもそう言います。ですから彼女自身の事を現しているのは「卑しい」です。語源は52節の「低い者」53節の「飢えた者」と同じです。

私たちが将来同居する神様は卑しい者、低い者、飢えた者の側に立つお方である、と言う事です。これは今のあなたの回りにいる卑しい者、低い者、飢えた者に対するあなたの行動が問われる内容ですね。イエス様も弟子達にゴールについて語られた時に、最も小さき者にしたことはイエス様にしたことであり、しなかったのはイエス様にしなかった事にあることを注意しておられます。私たちの日々の生活、行動、それが準備となるのです。そして、マリアはもう一つの準備を伝えています。それは心の準備です。あなたは50節「主を恐れかしこむ者」であるか?51節「心の思い高ぶっている者」となっていないか?。将来同居予定をしている神様が一番好まれるのは神を恐れかしこむ人です。一番嫌われるのは心の思い高ぶる人です。

 今はアドベントの期間、待降節です。2000年前にキリストを迎える準備をしていた人は生まれ故郷のユダヤには一人もいませんでした。クリスマスはマリアとヨセフだけでした。あるいはそこに家畜がいたのかも知れません。それで神様は外国の星占いの博士を連れて来ることにしました。しかし、彼らは誕生に間に合いませんでした。そこで仕事中の羊飼いを連れて来ました。2000年前のクリスマスはこんな有様だったのです。では、将来神様との同居生活に招くために来られるキリストを準備をして迎える者は?しっかり準備してお迎えしましょう。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。