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「休息の極」 (末吉貞雄牧師)

聖 書
マルコ2章23節-3章6節
2:23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。
2:24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」
2:25 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」
2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
2:28 人の子は安息日にも主です。」
3:1 イエスはまた会堂にはいられた。そこに片手のなえた人がいた。
3:2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
3:3 イエスは手のなえたその人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。
3:4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。
3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
3:6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。

 「わたしのところに来なさい」というキリストの招きから始まる1月の礼拝も最後となりました。この招きは「あなたはキリストに何を望みますか」という問い掛けでもあります。四連熟語で合格祈願、立身出世、商売繁盛、目標達成、家内安全、家庭円満、無病息災、そして最後は極楽往生。最近はポックリ往生とも言われます。私達日本人は年齢に応じて色々な望み目標を立てて頑張り続ける、と言うライフスタイルで日本社会を発展させて来ました。しかしその反面、過労が絶えません。

 私も長年「くたびれた」は禁句としてまいりました。11年前に体調を崩してから、くたびれた時は「くたびれた」と言えるようになりました。「わたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」。このキリストの呼び掛けは『あなたに忘れているものがあります。人間の基本・目標・望みは繁栄、発展、向上、進歩ではなく休息ですよ』と言う問い掛けです。

 例えば一日は「おはよう」で始めて「おやすみ」を目指します。聖書はキリスト教の聖典かつ人間のバイブルです。最初に記されている天地創造は人間の起源ではなく人間の基本がテーマです。神様が人間を含めて天と地を6日間で造られ、それを振り返って『good』と評価され、7日目に完成を宣言して休息されました。その時に7日間の中で7日目の休息の日を天地の被造物と神様にとっての特別の日に指定されました。

 なぜ天地の被造物にとってこの日が特別の日なのでしょうか。ヒントはこれから彼らがスタートするのに何が重要か?ということです。スタートするのに重要なのはゴールの確認ですね。皆さん、私達被造物の目指すべきゴールは、繁栄、発展、向上、進歩ではなくて、休息です。その日神様は一つの決断をなさったのです。「私も休んではいられない。明日から彼らと共にスタートだ。彼らと共に働き、最後には彼らと共に休息することにしよう。その日が楽しみだなー」。そして神様と被造物全体の共同の歩みが始まりました。この日は神様にとって忘れられない特別の日に成りました。

 その後神様は具体的にエジプトで奴隷であったアブラハムの子孫を解放し、彼らと共に歩まれました。神様と彼らが共に歩みそして最後に共に休息する、この人間の基本の事を忘れない様に神様は彼らに生活リズムを与えられました。それが十戒の第四番目「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」です。6日間神様と共に働いて週末の7日目は神様と共に休む安息日という特別な日と定められました。教会はこのリズムを受け継いでいます。

 2月の賛美に新聖歌8番(讃美歌56番)が選ばれました。「七日の旅路 安けく過ぎて 御前に集い かしこみ仰ぐ 今日こそ天の 休みのしるし」。皆さんは過ぎました一週間の歩みを終えられ、こうして教会に集まっておられるのですが、この歌はその歩みは「安けく」過ぎたと歌います。皆さんの中には、先週は大変だったと思われる方もおられる事でしょう。なぜ「七日の旅路、安けく過ぎて」と歌われるのでしょうか。

新聖歌252番1番に「悲しみは波のごとく わが胸満たす時」とあります。2番に「悪しき者 迫り来とも 試みありとも」とあります。でもこの歌はその後に繰り返し歌います。「全て 安し 御神 共にませば」。七日の旅路が「安けく過ぎた」のは「御神共にませば」だからです。日曜礼拝は神様と共に休む休息の極を目指して、神様と共に歩んむ人間がここにいる、そういう人間の基本を大事にする者たちがここにいる、そのしるしなんです。

 日曜礼拝はホッとする所です。リクリエイトされる所です。元気を頂く所です。皆さん色々表現できますね。しかし、それでは不十分です。ホット出来る所、リクリエイトされる所、元気を頂く所は他にもあるからです。神様と共に歩み、神様と共に休息する、この人間が忘れてはならない基本を確認する所、その目印になる所は城陽にここしかありません。

 神様は天地を創造された後、全被造物と共に歩み、共同体として生きて、最後に皆と一緒に休息する、休息の極というゴールを目指してスタートされました。安息日はそのしるしです。キリストが怒られるのは、人間が本末転倒することです。皆さん2章27節の「安息日」の所に今一番気に成っている言葉を入れてみて下さい。そしたら、私たちも何に支配され本末転倒になる危険にさらされているのか、そして本当の幸せを逃しているかに気付かされます。

キリストはご自分の命という代価を払って、私達をその支配から買取り、神の支配下に入れて下さり、本末転倒に気付かせ改めさせて下さるお方です。このキリストを信じて神の支配の中を神と共に歩み働きましょう。ゴールは神と全被造物と共に与る休息の極です。ここから人間中心の視点ではなくて、全被造物と共同体として生きる地球規模の視点が生まれます。後回しにされて来た環境保全から、経済や外交やエレルギーや教育や福祉を考える必要があります。ゴールは発展進歩繁栄ではなく休息です。国家からあなた自身の人生にいたるまで、本末転倒になっていないかよく見極める必要があります。今日もイエス・キリストと確り繋がり、見極める目にしていただきましょう。
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