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「我を用い給え」 (末吉貞雄牧師)

聖 書
マルコ16章14-20節
16:14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。
16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕

 死人の中から甦ったキリストは40日間弟子達と過ごされ、天に帰られました。その最後の場面が今日の聖書です。皆さん、イエス様が他の宗教と同じ教祖で新たに出来る宗教団体の発展を目指すなら、優秀な弟子を養成し、その後綿密な伝道計画が立てられたでしょうね。第一永遠の命を持っておられるのですから天に帰らないでずっとこの地球にいる事も出来ます。しかし、イエス様は弟子たちの不信仰と、頑なな心をとがめ、「全世界に出て行き、福音を宣べ伝えなさい」という大雑把な伝道命令をするだけで、何の遺品も残さずに、頼りにならない弟子達を残して天に帰られました。不思議です。

 しかし、ここに教会の原点が明らかにされています。信徒の皆さんは昼から教会総会で2017年度の教会の活動について話合いをしますが、その前に教会の原点に注目しましょう。また信徒でない方々は、教会のメンバーに加わる事にちょっと不安を感じるかもしれませんね。現代は色々な宗教団体がありますから、その団体のメンバーに成ると言う事に対して非常に警戒します。教会の原点を知って頂く時、その不安はきっと解消するでしょう。

 15節の聖句に注目下さい。「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」「全世界に」「すべての造られたものに」と聞く時に感じませんか『何だか話しが大きいな、私には無理やなあ』と。それから16節「信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は、救われます。しかし信じない者は罪に定められます」。ここだけを取り出して『信じなさい。信じないと滅びますよ』と言う人もいますが、イエス様は信じない者に対してこの16節を語られたのではありません。これから自分は天に帰り残された弟子達が伝道し教会が生まれ、そこに加えられた新しいメンバーも伝道します。イエス様はこれから伝道する教会のメンバーに15-20節を語っておられます。

 そしたら聞き方が変わって来ます。『自分が伝道に失敗して、相手から「もう私は絶対に信じない」なんて言われたらどうしましょう。イエス様は言われました「その者は罪に定められます」』。皆さん、こんな大きな責任を負い切れるだろうか、とまず思いますね。そして17-18節でイエス様は続けて、信じる者に伴うしるしを語られます。これを読むと、そのようなしるしが伴っていない不信仰な自分を認めざるを得ません。『イエス様、私たちが自信を無くすような言葉を最後に残して行かないで下さい』。

 しかし、皆さん、イエス様の最後の言葉ですから、きっと非常に重要なことを伝えておられるに違いありません。一つ言える事があります。15-18節は『伝道は私たちの力では決して出来ない。しかし天に帰られたイエス様、天におられる父なる神様には出来る』という事を伝えています。伝道は神様が、一人ひとりの人間を幸せに導くために行われる神の業です。が私達は何もしなくて良いのではありません。私達にも役目が与えられています。

 私が小学校2年の時に通った書道教室のお話をまたしますが、聞いて下さい。生徒はきれいな字が書けません。しかし、先生はきれいな字が書けます。きれいな字を書くために書道教室で、筆を握る生徒の手の上から先生が握ります。生徒は力を抜いて、自分を握る先生の手に100パーセント預けます。そしたら、力の入れ方、はね方、留め方、筆の運び片、流れと調子と勢いを感じます。そして字を書く先生自身から伝わって来る言葉に表せないものをも感じます。

 習字には二つの方法があります。先生が書いたお手本を半紙の下に敷いてなどる方法と、先生に手を握って頂く方法です。私達の信仰もこの二つに似ています。一つ目は、聖書や教会の教えをお手本にして自分の手で信仰という字を書きます。二つ目は、聖書や教会と接する中で神様に握って頂いた手で、信仰という字を書きます。『この二つ目の信仰で進みなさい』これがイエス様の最後のメッセージだったのです。

 19節イエス様が天に昇られた後、20節で弟子たちは出かけて行きました。「よーし、やったるぞー」と意気込んで出かけたのでしょうか。そうじゃないと思うんです。「イエスさま、私を用いてあなたが伝道して下さい。私のこの時間を、今いる場所を、頂いた能力を、与えられたお金を、・・・使って下さい。」と言って出掛けたのだと思います。つまり、主導権をイエス様にお譲りしました。そしたら、20節イエス様が彼らと共に働かれたのです。

 教会の原点は「我を用い給え」と言って神様に自分を献げることです。神様があなたの人生を用いて下さる、それが伝道です。私たちのすることは「主よわたしを用いてください」と祈って生活することです。これが教会と信仰生活の原点です。ですから教会は信者に伝道のノルマを課しません。「我を用い給え」と祈る生活を、皆さんが家に帰って送られる事、それが求められています。神様があなたの回りに幸せを生む為にあなたを用いられます。一年の計は元旦にありと言う様に。この礼拝は一週間の計です。献金、賛美、祈り、前後を含めての礼拝時間等、全てが献げることになっているのは、原点に帰る為です。さあ「主よ、我を用い給え」と祈る生活を始めましょう。
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