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「 絶えざる祈り 」(末吉百合香師)

聖 書
ルカの福音書18章1-8節
18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」
18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

正しい裁き主の国
 先週は、神の国はイエス・キリストを信じる者たちの集まり、すなわち教会のただ中にあり、しかしそれは未完成なので、その完成のために再び主が来られる、その日を「人の子の日」とイエスさまは教えられました。
 先週の最後の御言葉17:37「死体のあるところには、はげ鷹も集まるものだ」。これはユダヤの諺です。その意味は、はげ鷹が必ず死体を見つけるように、神の国の完成のときは必ず来るのです。イエスさまは、「神の国が完成される日、ご自分が再び来られるその日は必ず来る、その日を忍耐して待ちなさい」とおっしゃいました。
 では神の国とは、どんな国でしょうか。今朝はまずそのことを主は語られます。神の国とは、神様が裁き主として治められる国です。どんな裁き主なのでしょうか。
イエスさまは死んで復活されましたね。それは、この世の闇の力、悪の力、その中で最大の力である死の力、それら全てに勝利なさった、それが復活です。「勝利の主」です。また、100パーセント信頼できるお方、なぜなら間違うことの決してない正しいお方だからです。「義なる神」です。そのお方が、すべてのことを裁かれる国が神の国なのです。神さまの光が当たらないところはどこも無い国です。
皆さん、これほど安心して生きることができる国があるでしょうか。この国が教会だと言われます。ならば、私たちはあれやこれやと心配する必要があるでしょうか。あれやこれやと心配しておられるとすれば、今朝、主は問われるのではないでしょうか。あなたの信じるお方は「勝利の主」ですか?「義なる神」ですか?他の神さまではありませんか?と。
私たちが心配しなくても神の国が完成される日は必ずくるのです。
完成の日を待つ忍耐
 しかし、その日を待つには忍耐が必要となります。イエスさまが天に昇られてから既に2000年が経過しました。「わたしは必ず帰ってくる」と約束なさってから、2000年が経っています。つまり、教会は既に2000年もの長い間忍耐してその日を待ってきたということになります。よくこんなに長く待って来たものですね!
皆さん「その日」を、こんなに長く忍耐できる秘訣は何でしょうか。イエスさまはその秘訣を教えておられます。
1節「気を落とさず絶えず祈りなさい」(新共同訳)と。
そして、次のたとえを話されました。2-5節参照。
ここにやもめが出てきます。聖書を学びますと、その思想が、やもめや孤児など弱い立場にあるものたちに対して、神さまがどんなに憐れみを掛けられるお方であるかが分かります。
(その一箇所を開いて見ましょう。出エジプト22:21-26参照。旧p135)
もう一度ルカに戻りましょう。一人のやもめ(寡婦)が「相手を裁いて、わたしを守ってください」と言っていますが、このやもめは離縁され子どもと一緒に生活しており、夫から扶養されなくなったばかりか、夫の財産までも夫の兄弟や両親に与えられていたのです。その場合、やもめにとって裁判官は唯一頼ることのできる存在でした。なぜなら、当時のユダヤ社会では現代のように女性の職場などありません。自分で収入を得て子どもを育てることなど到底できない社会でした。例外はあったと思いますが、ほとんどの女性が男性の保護のもとに生きていたのです。
このたとえで4節「裁判官は、しばらくは取り合わないでいた」5節「あのやもめは、うるさくてしかたがない」とありますが、これは、やもめが何度も何度も忍耐強く裁判官のところに足を運んだ事を表しています。この女にとって裁判官は唯一の頼るべき存在なのです。彼が正しい裁判をしてくれるならば、彼女と子どもたちは生きることができます。
やもめが裁判官のところに何度も足を運んだのは、彼女の忍耐強い祈りの姿なのです。絶えざる執拗な願いを訴える姿です。
日本でも、お百度参りというのをいたします。ある意味、共通していると思います。しかし、その場合は知られざる神に祈っていることになるでしょう。
イエスさまは忍耐を養う秘訣は祈りにあるとおっしゃっています。
このたとえは、ルカ11:5-8の「執拗に頼む隣人」のたとえも思い起こさせますね。

さて、やもめの祈りは聞かれましたか。この裁判官は、神さまが求められる裁判官の資質を全く持ち得ない、悪い裁判官ですね。「神を畏れず、人を人とも思わない裁判官」だというのです。とんでもない裁判官です。ところが、そんな裁判官にやもめは訴えています。たとえの結末は、不正な裁判官であるにもかかわらず、やもめの祈りは聞かれました。

皆さん、まして神の国では神さまがその国を治められる裁き主です。3節と7節の「ところが」(新共同訳)と「まして」この翻訳はなかなか素晴らしい訳ですね。ギリシャ語では同じ言葉が使われています。でも日本語はこのように翻訳しています。やもめは何故、こんな裁判官に頼みに行くのかな?と不思議に思いますね。しかし、これはイエスさまの素晴らしいたとえなのです。

イエスさまは、不正な裁判官でさえやもめの執拗な祈りを聞いたと話されました。それなら、神さまがその裁判官であったなら、どうでしょうか、とおっしゃるのです。
7節に「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のために裁きをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」とあるように、神さまは祈りを聞いてくださるのです。
皆さん、やもめとは誰でしょうか。
「夜昼神を呼び求めている選民」とありますから、忍耐強く祈るクリスチャンのことです。
わたしたちの祈りに耳を傾けてくださるのは、不正な裁き主のではありません。全能で、清く正しい裁き主である神さまがわたしたちの祈りに耳を傾けてくださるのです。
皆さん、イエスさまはこのたとえを通して問うておられます。わたしたちが、神さまはそのように100パーセント信頼できる裁き主であると認識していますかと。していないのではありませんか。信頼しきっていない自分がいないでしょうか。そう問われます。
しばらくは、取り合ってもらえないだろうとわたしたちの側で判断していないでしょうか。正しい裁判官が取り合ってくれないなら、不正な裁判官のほうに行こうなんて考えるなら大変ですね。

しかし、イエスさまは何とおっしゃっているでしょうか。
「いつまでもそのことを放っておかれるであろうか。神はすみやかに正しいさばきをしてくださいます」こう言われています。
正しい裁判官が取り合ってくれないなら、不正な裁判官のほうに行こうなんて考えるなら、「人の子が来られる時」わたしたちのうちに信仰を見出していただくことができるでしょうか?
不正な裁判官とは、この世の支配者たちのことを言っているのかもしれません。

しかし「神は速やかに裁いてくださる」と聖書は約束しています。この約束をわたしたちの側から反故にしてはなりませんね。
「速やかに」とは、誰が判断するのでしょうか?神さまです。
わたしたちが遅いと感じても、神さまはおっしゃいます「わたしは速やかに裁く」と。それを、わたしたちが勝手に判断してはなりませんね。神さまの時を心に留めて待ちましょう。
確かに待つのは辛いものです。一人ではなかなか忍耐して待てません。しかし、わたしたちは教会という祈りの共同体が与えられています。心を合わせて祈るという共同体が与えられています。大きな課題であればあるほど、それが必要です。
教会が神の国であるために、神さまを「勝利の主」として、「正しい裁き主」として迎えているかどうか、今朝もう一度私たちは確認しましょう。
1節「気を落とさずに絶えず祈りなさい」(新共同訳)と今朝も主は励ましてくださいます。からし種一粒の信仰をいただくために、神の国の完成のその日に備えるために、生涯忍耐強く祈るなら、気を落とすことの無い元気な信仰となることでしょう。
先週の聖書日課にも、「堅く立って動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの苦労が、主にあって無駄でないことを知っているのですから」1コリント15:57とあります。
説教要旨
 1節「気を落とさずに絶えず祈りなさい」(新共同訳使用)。何故そうするのでしょうか。からし種一粒の信仰をいただくため、神の国の完成の日に備えるためです。なぜなら、不正な裁判官でも執拗に頼むなら訴えを聞きます。まして、私たちの神さまは、勝利の主であり、義なる神です。その神さまが私たちの国(教会)を治めておられます。私たちはこのお方に祈って(訴えて)いるのです。ですから、失望することはありません。

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