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「神を恐れよ」 (末吉百合香師)

聖 書
出エジプト1章8節-2章10節
1:8 さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。
1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」
1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。
1:13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、
1:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。
1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
1:16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
1:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
1:18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
1:19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
1:20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
1:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
1:22 また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」
2:1 さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。
2:2 女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。
2:3 しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。
2:4 その子の姉が、その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、
2:5 パロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来た。彼女の侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みにかごがあるのを見、はしためをやって、それを取って来させた。
2:6 それをあけると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子どもです。」と言った。
2:7 そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか。」
2:8 パロの娘が「そうしておくれ。」と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た。
2:9 パロの娘は彼女に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」それで、その女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
2:10 その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。

去年、旧約聖書は創世記の最後まで聞きました。今年は出エジプト記に入ります。神さまは、ご自分の民であるイスラエルをヨセフによってエジプトへと導かれましたね。ナイルの下流のゴシェンという所で、彼らは神様の祝福の中おびただしく増えました。エジプトで過ごした年月は400年だったと「使徒の働き7章6節」にあります。しかし、今朝8節を読んでいただきましたように、時の経過と共にエジプトに対するヨセフの貢献は忘れられ、強大になったイスラエル人たちは今やエジプトの脅威となっていました。彼らがこれ以上脅威とならないために、虐待が起こります。
ここを読む時に、現代も同じことが行われていることを思います。シリアで起こっている現実があります。前国連事務総長のアナンさんが面会しましたが、状況は打開されず、市民の虐殺が続いています。自己中心も、そこまで行くのかと人間の最低の姿に悲しくなります。つまり、出エジプトの出来事は昔の事ではなく、現代の私たちにも大きなメッセージを送っていると言えます。

キリストがもう一度来られる時、世界にある全ての悪を完全に消滅させられます。ですから、私たちはキリストが地上での最後の夜に、弟子たちに伝えた言葉を忘れないようにしましょう。「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしは既に世に勝ったのです。ヨハネ16章33節」また、使徒パウロがローマ教会信徒に伝えた「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ12章21節」これも忘れないようにしましょう。
 
今、求められているのは、神様を恐れて行動することです。そして、悪は連鎖するものであることを、私たちは覚えなければなりません。旧約聖書の知恵は伝えます。「主を恐れることは、悪を憎むことである。箴言8章13節p1067」人を憎むのではなくて、神様を信じて悪を憎むのです。しかし、人を憎む時、悪の望み通り悪は連鎖します。

イスラエルはエジプトの国と敵対するつもりは全くありません。国を乗っ取ること等、毛頭考えていません。ただ、神様が彼らをエジプト人よりも祝福されたということです。
これには悪はありません。丁度、エデンの園の中央に神様が善悪の知識の木を植えられたのも同じです。また、弟アベルの献げ物に神様は目を留められ、兄カインの献げ物は目を留められなかったのも同じです。「アベルの献げものはカインよりすぐれたいけにえ」(へブル11:4)とあり、「神の求めるいけにえは打ち砕かれ悔いる心」(詩編51:19)とありますから、アベルは打ち砕かれ悔いる心と共に献げました。それで、神さまは受け取られました。ですから神には悪はありません。神さまの行為に納得できないと憤ったカインによって兄弟殺しという悪が、人間によって生まれたのです。
エジプトの王を見ると良く分かります。彼は国民に警告しました。イスラエル人に注意せよ。もし戦争が起こって敵側に付いたら大変なことになる。
みなさん、悪の発端は「不安」です。現在のシリアの指導者達も同様です。現体制が覆されることへの不安です。国際社会は諦めずに何度も何度も平和に向かうようアプローチが必要です。

イスラエルの代表者と王が会談をしたりして、不安の解消に努力していたら事態は変わっていたでしょう。しかし、それは行われませんでした。  
悪はどんどん連鎖反応を起こして膨らんで行きます。強制労働による虐待が始まり、労働内容が重くなり、男児殺害、男子撲滅。不安は、とうとう殺人へと連鎖して行くのがここで分かります。

神さまを恐れるとは、信じてこの悪の連鎖をストップさせることです。
エジプトにいるヘブル人の助産婦はシフラとプアと言う名前です。祈り会で学びました。この二人の助産婦を日本名にするなら美子と光子。最近はもっとおしゃれな字が使われますが・・。つまり、この二人は普通の平凡な女性です。エジプトの王という強大な権力者の前では、本当に小さな存在です。しかし、その彼女達が悪の連鎖をストップしたのです。蛇の様に賢く、鳩の様に素直な善をもって悪に勝ったのです。このことは、彼女たちがすごく勇敢であったというよりも、神さまが彼女たちに働いて、英知を授けたのです。しかし同時に、彼女たちの中には確かに悪を否定する意思が働いていたことは当然です。17節に、「助産婦たちは神を恐れ」とありますから、神さまの意思に従うという信仰のゆえに、神さまからの英知に気づかされたのだと思います。
彼女たちが、男の子を生かしておいたので、王は問い詰めます。その時に美子と光子は「命は大切です。そんなことはできません」というような王を逆なでするようには答えませんでした。「へブル人の女は、エジプト人の女と違います」と言って、王の詰問に聡く答えます。この二人は神さまへのアンテナ周波数をいつも合わせていたのです。御言葉の知識ではなく、神さまの心にアンテナを合わせていたのです。自分がどのような行動を取ることが神さまに従うことなのか、そこにアンテナを合わせていたのです。この二人は私たちに、NHKの大河ドラマの主役になれない、画面の端っこのエキストラの薄汚い恰好をした一人というような、平凡な小さな存在が、神を恐れて歩むなら悪をストップさせる存在になりうることを証しています。自分が何者であるという事よりも、神さまの心をどれ程知っているか、それが重要だということを教えてくれます。小さな私には、何だか元気が湧いてきます。

さて、2章に出て来ます赤ん坊を3ヶ月間隠していた母親もこの善をもって悪と戦います。彼女も神さまを信じて悪と戦いました。先ほど読んでいただきました、招きの言葉はこの母の思いを表しています。詩編86編1-5節。
母は最後まで諦めないで戦い続けました。防水を施した籠に赤ん坊を入れてナイルに浮かべたのです。命を最後まで大切にしました。
よく考えますと、この時生まれて来る子どもは、苦しむために生まれて来る様なものです。この子は生まれない方が良いと言う考えも、出て来て当然の状況だったと思います。ここにも悪が連鎖する機会がありました。しかし、どんな命でも生きることを大切にしたのです。これが神さまを恐れることです。
現代は医学が進歩して、受精卵が着床して数か月でしょうか、赤ん坊に異常がある場合発見できます。お医者さまは親にそのことを告げ、出産するかどうか尋ねるそうです。異常を持って誕生することは困難や差別が予想できます。しかし、その命を親が決定していいのでしょうか。この赤ん坊の母の取った行動は、神を恐れるとは、困難に立ち向かう力も神さまが備えて下さるという信仰であることを感じます。
さて、私たちはナイルに浮かべられた赤ん坊の姉にも注目しましょう。この子は、神を恐れる大人の後姿を見て育ちました。とうとう親の手では守りきれなくなった弟を、彼女は最後まで諦めませんでした。王女がふびんに思った時、つかさず「その子に乳を飲ませるため、私が行ってヘブル女の乳母を呼んでまいりましょうか」と申し出ます。悪の連鎖はぎりぎりの所でこの姉によってストップしました。
詩篇33:18に「見よ、主の目は、主を恐れる者に注がれる」とあります。

神さまは後にエジプトの王女の子になったモーセを、イスラエルの指導者として立て、神の民イスラエルを生み出します。神さまは、悪の連鎖をストップさせるだけではなくて、もっと積極的に善の連鎖を作り出すものとして、この民を選ばれます。
私たちキリスト教会は、この神の民の流れに属する集団です。キリストこそ悪の連鎖を遮断された方です。私たちには出来ない十字架によって完全な遮断をなさいました。敵を愛し迫害する者のために祈られます。悪が最高潮に達し、もう止めることの出来ない勢いでした。罪のないイエスに向かって、人々は「殺せ、殺せ」と叫んだのですから。しかし、キリストはその全てをご自分の身に受けてストップされたのでした。
また、このキリストの十字架は、その愛の力によって善の連鎖を作り出す力を持っています。キリストによって人は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制と言う善の連鎖を作る者とされます。私たちの教会にこれが存在しないとすれば、重大問題です。よくよく、顧みなければなりませんね。
 
最近のニュースは暗いものが多いです。そして、同様の事件が次々と起こる。これはどういう人間社会の状況なのでしょうか。
 このような状況の中で私たちの使命は大です。それは、それぞれの置かれた立場で、悪の連鎖をストップさせる終点、善の連鎖をスタートさせる起点となることです。それぞれの立場によってその点の大きさは違うでしょう。政治の指導者は世界に直接影響を与える大きな点に立っています。私たちはこの世界の中で小さな一点でしょう。しかし、家庭の中では重要な一点ではないでしょうか。この事は全ての人に与えられている神さまからの使命です。
悪が連鎖しています。その発端は不安でした。神さまを知らない所から不安が生じます。
神さまを恐れ、神さまを深く知りましょう。
「主を恐れることは、悪を憎むことである。」箴言8章13節、悪の連鎖をストップさせましょう。そのためには神さまからの平安が必要です。
「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしは既に世に勝ったのです。」ヨハネ16章33節。なんと力強い主の宣言でしょうか。
「悪に負けてはいけません。かえって、善(愛)をもって悪に打ち勝ちなさい。」ローマ12章21節
神さまを恐れ、善(愛)の連鎖を発進しましょう。そのためにはキリストの愛が必要です。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、今、それを下さい、と心を合わせて祈りましょう。
説教要旨
「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。・・彼らは王の命令をも恐れませんでした」へブル人への手紙11章23節。へブルの手紙が言う、「信仰によって」とは今朝の御言葉によれば「神を恐れる」ことである。今朝登場するモーセの両親、二人の助産婦、モーセの姉、彼らはこの地上では全く取るに足りない小さな存在である。しかし、神は彼らを悪の連鎖を断ち切る存在とするために一人一人に働かれた。この事実は、小さな信仰者である私たちに、大きな使命が与えられていることを気づかせる。神を恐れる者は、悪を善(愛)へと向かわせるために召されている。

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